僕は僕と生きる

雑記。僕が思ったこと、書きたいことを書くところです。個人の主観に基づきます。

「丁寧な暮らし」に潜んでいる某か

少し前に「丁寧な暮らし」が流行った。オーガニックがどうこうとか、手作りがどうとかなんとか言うならご飯は手作りで、毎朝ハーブティーを飲んだりしながらパンを焼いて、アクセサリーはハンドメイド系の某かなんだろうし、ご飯は材料を買ってきて火を通したり色々しなきゃいけないし、僕にはなんだか面倒に見えてしまった。

というか「丁寧な暮らし」と言うのは非常に面倒なんだ。

丁寧な暮らしというのにも何種類かあるらしくて、「ものを持たない生活」とか「手作りの生活」みたいなそういう。

うん。好きな人はそれでいいと思うんだよね。

どうぞ、毎朝ヨガをやって庭のプランターでハーブでも育てていただいて、ガンガン断捨離していただければ良いと思います。

僕は着物好きだけど、「丁寧な暮らし」には共感できないし、一日でやるべきことは一日でやるべきだと思うし、ドアを意識してゆっくり閉めたり、ゆっくりとコップを奥みたいなのは実践できねぇなぁと思っている。

お金をかけずに手間をかけること。みたいなの書いてあったけど、きっとお金はあるのならかけたほうが幸せになれると思うんだよね。

洗濯板でやるより洗濯機使ったほうが多少は楽だろうし、なんならコインランドリーでもいいと思うの。

僕は毎朝コーヒー飲むけど、インスタントのときもあるし、淹れるときもあるし、時々で僕はルーチンを丁寧にしているわけだよ。

でも、今言われてる「丁寧な暮らし」っていうのはフォーマット化された「丁寧な暮らし」で、それを実践するのは果たして自分に取って本当に「丁寧」なのかということ。

やってて苦しい「丁寧な暮らし」は違う気がしてしまうのよね。

何を丁寧に生きるかっていうのはその人によって違っていいと思う。

僕は否定をしない。毎朝ハーブを摘む人もそこに至るまで色々あったのだろうし、毎朝トースト一枚で出かけていく人もきっと何か違うことを丁寧に暮らしているのかもしれない。

もしかしたらとっても雑に生きているように見えて、会話を丁寧にする人なのかもしれないし、人と接するのは雑だけど、自分ひとりの時間は丁寧に暮らしているのかもしれない。

自分なりに丁寧に生きればそれで良いと思うんだよね。