読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

移住したほうがいい。

突然、親から沖縄に移住したほうがいいといわれた。

「お前は全部やめて沖縄に移住して、物を書いて暮せばいいよ」

僕はまだ、今日までは学生で、明日以降、大した肩書も持たない。

昼間は働いて、夜は稽古をして、稽古がなければまた働くだけだ。

何を辞められるのだろうか。働くことだろうか?それとも稽古だろうか?

きっと僕の母はそういうことを考えて発言したのではないはずだ。

ただただ、単純にすべてやめてしまえばいい。その方が楽になるよと言いたいだけだったのかもしれない。

僕は、やめるんじゃなくて何かを始めなければいけない。きっと兎に角なんでもいいんだと思う。

このブログを続けるでもいいし、筋トレでもいいし、ランニングでもいい。

それこそほんとに書き物を始めてもいいのかもしれない。それがお金になるかどうかというのはまた別の話なんだけれども。

確かに、僕は何度も失敗をしている。単純な人間関係から失敗した。友達もいなければいじめられもした。

だからどうということはないのだけど、ある程度今の人格を形成するのに影響はしているんだろうとか思うと、こういう生活をしていなかったのかと考えるとそれは微妙に違う気がする。結局最終的には何も変わらなかったんじゃないだろうか。これは僕の生まれ持ったものだからどうにもならなかったんだろうなともおもう。

今まで、小学生から習い事なり、なんなりでずっと忙しくしてい宝かもしれないけれども自分の予定が埋まってないのが何よりも怖い。

確かに移住はしたい。

沖縄に住みたい。

こんなことを書いているくらいなら早く脱稿を目指すべきだ。

クラウドソーシング(ライティング)について考えてみた。

クラウドソーシングについて考えてみた。

僕には専門の知識など、まったくと言っていいほどないので、何か変なことを言ったら悪いなと思いつつも、考えて書いてみる。

僕は去年の今頃新しいアルバイトを初めて、3か月後にはやめることになる。

色々あって、円形脱毛とか作って辞めることになる。原因は主に人間関係だったと思う。

それから僕の場合は外に出なくてもできる仕事を探すことになって、たどり着いたのがクラウドソーシングだった。

 

クラウドソーシングと一口に言っても、様々に種類はある。webデザインとかシステム開発、ライティングとか、翻訳とか。

要はweb上でどうにかなることなら大体ある。と思う。たぶん。

技術を持っている方々は割とどうにかなるのかもしれない。

この辺は知識がないからわからない。

 

一時期クラウドソーシングが話題になったことがあった。

某サイトのコピペとか、医師の確認がない医療関係の記事とか。関連のサイトはいまだに閉鎖したままだ。

結構な数の人が参加していたのだろうし、仲介サイト(ランサーズとかクラウドワークス)を通しているのなら、そのなかのライティングの案件としては単価が高かったのだろう。

というか、実績のない僕らから見ればそれなりに良いお値段だった。

僕はその案件には参加していなかったから内部がどうなっていたのかはよくわからないけども。

クラウドソーシングの仲介サイトには恐ろしく単価の安い案件がこれでもかというほど転がっている。2000字で500円とか割と見る。1文字0.25円。しかも権利は大体持ってかれる。

正直言って契約する先の企業は実績もないライターを雇って損をしたくないから最初のうちが安いのは仕方のないことだと思う。みんな損はしたくないでしょ。

問題はこの権利を持ってかれる点だと思う。どれだけ記事を書いても自分が書いたとは言えない。長い目で見たら書いた人の利益にはならない。(ライティングのスキルとかは確りしたとこだと身につくかもしれない)

それでいて単価も安いからどんどんすり減っていく。自分でコンテンツを持っているわけではない。

八方ふさがりじゃん。

もちろん、クラウドソーシングのシステムが悪いわけではないと思うし、仕事を請け負う人も次の仕事までのつなぎのためとか、いろいろだから仕方がない面もあるのだけど、僕はキツイバイトみたいだと思った。

少しの期間、稼ぎたい技術のある人ならばクラウドソーシングはとても良いと思う。文章が好きでどんどん書きたい。少しでもお金になればって方にも良いと思う。

生活を成り立たせようとするなら、何か技術がなきゃだめなんだろうなと思った。

 

終わり。

 

歩く

歩いた。町を歩いた。

下駄で歩いた。

久々に外に出たらやっぱりいろいろな人がいるんだと感じた。

下駄を鳴らして歩いた。

だけど、誰も僕のことを変な目で見る人はいなかった。

僕が気づかなかっただけかもしれない。

鈍感になったのかもしれない。

でもそれはそれでいい気分だった。

無条件で肯定されているような、そういう多少の幸福感のあるような気分だった。

悪くなかった。

単純にみんな無関心だったのかもしれない。

それでも、「懐かしいもの履いてるのね」なんて声をかけてくれるおばあちゃんもいて。

ああ、まだここに居てもいいんだなぁと思った。

他の人から見たら大したことないんだろう。

でも僕は幸せだった。

なんのことはないのだけども、外に出ていないと時間がわからなくなっていく。

こう考えると刺激ってとても大事なものなんだと思う。何もないことが日常で、それって普通のことなんだ。(こういうことを言うとそれはあなたの普通で……)って始まられたりするから控えているのだけど。

普通ってきっと大した刺激のないことだと思うのね。刺激って言ってもよい刺激だったり、悪い刺激だったり、いろいろあるじゃん。

痛みを感じることもあれば、びっくりするだけのこともあって。告白されるとかも刺激だよね。

自分が本を書いているとびっくりするほど刺激のない作品になっていくのだけど、それって僕自体が、人生にそんなに事件ってないんだよなって思っているからかもしれない。人が追いつめられるっていうのは、劇的な事件が発端ではない。

誰も気づかないようなところでじりじりと本人さえも気づかないうちに首を絞められていく。そんな風に、劇的に何かがあるわけではないのだと思う。

何もないのに破たんしたとか、何もしてない感じがしたけど前に進むことができたってのが結構多いのだと思う。それは生活の中で何かが着実にそちらの方向に向かっているのを僕たちが認知できないだけのことだろう。

何かを間違えたときに「それ、間違ってるよ」って言ってくれるのは、本当に自分のことを思っている人か、間違えたことによって不利益を被る人か、そのどちらかだと考えているのだけれども、実際問題前者はほとんど存在しない。

母親くらいなんだよな。自分を犠牲にしても自分に不利益でも子供の間違いを正してくれるのって。

恋人だって何かを間違えれば一瞬で離れていくのだろうし、それでなくても確実に関係は冷えていく。

きっとうまくいってる人たちは何回か火を入れてるんだよ。

鉄が窯から出すとすぐに冷め始めるのと一緒だ。

 

また今日も何が言いたいのかはわからない。

日々何かを消費していっている。

例えば金とか、ものとか、命を削っている。いきるってそういうこと。

自覚はないんですけどね。

大量に酒のんで気持ち悪くなったりとか、飲み続けて内臓をだめにしたときに、はじめて「あー、失敗したんだなぁ」ってなる。

ある程度のところまでいかないと気づかないんだろうなぁって。

そう考えると若い頃ってすごい。というか若い勢いってすごいんですよ。

 

例えば昔自分の書いたものを見てみると妙にゆめが溢れてたりして、恥ずかしくなってしまう。書き直しはしないんだけども。

いつやめるのかって言われたらちょっとよくわからない。いつまでやってるのかって聞かれてもダメになるまで続けるとしかいいようがない。

すでにだめになっているのかもしれない。

青春の延長線上にあるようなこんなことを自分はいつまで続けるんだろうか。

自分にしかわからないことなんだろうけど、自分にも良くはわからない。

卒業前夜

卒業前夜。もとい卒業当日。今日を持って僕は学生ではなくなってしまう。

実際には今月末までは学生であるんだけれども。

夜が明けたら卒業。

4年間色々あったと思う。思い出せることも、思い出せないこともたくさんあるんだろう。

実際は思い出せないことのほうがよっぽど多いのだと思う。嫌なこととか消してしまいたい記憶なんてものは、とっくに記憶から消してしまっているのだろうと思う。

 

僕の4年間は演劇なしでは語れないんだろうと思っているし、逆に演劇を抜いてしまえば何もなくなってしまうのだろうとおもう。

そう考えると、厚いようで薄い4年間だったのかもしれないし、その逆なのかもしれない。

良くは思い出せない自分のやってきたことが、他人に少なからず影響を与えたのかもしれないし、与えなかったのかもしれないし、呆れられたのかもしれない。呆れられたのなら少なからず何かを受け取ってもらったのだから良しとしたい。

まわりを見たら自分のやってきたことなんてとても小さいことだし、僕が見たって僕はとても小さいから。

何も残らないのかもしれないけど。それでも続けて行こうと思ってしまった僕はきっと本物の馬鹿だし、それを支えてくれようとしてくれる人々は本当に馬鹿だ。

こう考えると、バカって良いな。

卒業前夜。もとい当日。

 

 

脚本を書いている。

学生からまだ脱却ができていないのかもしれない。

 

ここ最近生活がさみしくなったような気がする。

きっと引きこもりがちになったからだろう。

後ろを向いていたら何にもならないといわれることもある。

それで前を向けたらとっくに向いているのだろう。

後ろを見ないとやっていけないこともあるんだとわかってほしいとは言わない。

ただ、何も言ってほしくはなかったんだ。そんなこと自分が一番よくわかっているのだから。

たまに自分のことが分からなくなることがある。いったい自分は何なのか。

明日、僕には肩書がなくなる。