僕は僕と生きる

雑記。僕が思ったこと、書きたいことを書くところです。個人の主観に基づきます。

久々に朝帰りをした。

死ぬほど体が重かった。

体は重かった。

コンタクトが外れてしまっていたのでほぼ見えない状態で外に出た。

家に帰るまで終始目つきが悪かったことは想像に難くない。

重い体と頭を連れて電車に乗り込む。座って数秒で意識は飛んでいく。

今日したと思っている会話のどれくらいが本当にした会話で、どのくらいが夢の中でした会話なのだろうか。

なんだか際どい会話をしたような気もするし、そうでない気もする。

声がでない。

枯れている。

そんな感じで、久々の朝帰り。

 

朝の散歩をしたからさ

昔通っていた道を十何年かぶりに歩いた。

小学生のころ友達と歩いた道を今一人で歩いた。

昔は一人はさみしかったのに、今は何ともなくなってた。

あの頃好きだった女の子は、もうここにはいなくて、どこへ行ったのかなんてわからないし、わからなくてもいいと思った。

小さなころ大好きだった八百屋さんはなくなっていて、跡地には建売が建っていた。

八百屋だった建売の向かいの公園は今もあるけど、大きな滑り台はなくなっていて、昔には戻れないんだなぁと思った。

僕たちが立ち止まっていても時間は進んでいる。

 

年を取ったので変えたいことを書いてみた。

前回ブログ書いてから1か月ですね。

また誕生日来ました。

年を取ると何かしら変えていかなきゃなって思うんだけど、現状変えたいことって何だろうなって考えていて。

多分人とのかかわり方は少し考えなきゃいけないなってところに来ているわけで。

僕、リセット癖があるんですよ。

交友関係を定期的にリセットしてしまう。

ほんとに良くない癖だなとは思っているんですけど、突然シャットアウトしたい衝動に駆られることがあって。

これって自分の問題なんですけどね、僕きっと自分の過去にすごく引け目があるんだと思うんですよ。

いじめられてたこととかいろいろ。

昔も今も自分に自信なんか一ミリもなくて、「自分はできる」って毎日暗示をかけて生活をしている。

周りから見るとそれが自信過剰に見えるらしくて、あー、そうかーと思う。

いつも自分ならできるって言いきってしまうようにしていて、これは自分に自信をつけるためっていうのと自分を追い詰めるため。

運動も交友関係の構築もすごく下手なんです。

勉強は当時はそれなりだったんですけど。でもほら、勉強だけできても仕方ないじゃないですか。

友達の作り方も知らなきゃ子供の小さな世界で生きるのは難しい。

世の中難しいことばかりだなぁと思います。

それでも会いたいなぁと思う人はいるわけで。

でも、こう、そういう人にも簡単に連絡はできない。

覚えてないんじゃないかとか、本当は嫌がられてるんじゃないかとかそんなことを考えてしまうわけで。

仕方ないんですよね。

基本的に敵を作りやすいし、嫌われるようにふるまってしまうので。

本当に良くない。

人当たり良くなりたいなぁ…

ここ最近色々なものが変わってきたりして、会えなくなってしまった人も結構多くて。結構後悔も多いんですよ。

だから会える人とかかかわれる人とはその時にしっかりかかわっていきたいよなって。

人とのかかわり方を改善したい。

最近おかしくなってきたんじゃねぇの?

ここ何日か、というか3か月くらい。

自分がおかしくなってるんじゃないかっていう感覚に襲われることがあって。

それはどうしてかって言われると至極単純なことで、支援をしたいって活動を始めたからなのだけど。

それまではびっくりするほど自堕落な生活をしていたのね、僕。

好きな時に寝て、おなかが空いたら食べて、週2日くらい仕事するみたいな。そういう生活をしていたの。

今もほとんど変わってはいないのだけどね、なんというか、目標?芯みたいなものができたって感じなのよ。

本当にやりたいことが見えてきたみたいな。

人間やりたいことって増えたり減ったり、変わったりするじゃないですか?

うん、あると思うんですよ。

でも今回やりたいって思うことって人の人生に大きくかかわることだから、なんだか「いい人」というか模範的な人間である必要があるって思ってしまっていたのね。

でもやっぱり、深夜にすごい勢いでお酒を飲んでしまうこともあるし、日中友達と遊び惚けてしまったり、やっぱり自堕落になってしまったりするの。僕はね。

それが本当にいけないことだ、ってそんな風に考えてしまうことが多くなってきて、僕が子供の支援なんてするべきではないんじゃないかって思ってしまうことが多くて。

でもね、支援云々がどうだみたいなの置いておいてから、僕はやっぱり酒飲みで演劇が好きで、少し変わってるって言われるような人間でしかないわけ。きっとね。

だからきっと、子どもと一緒にいたとしてもそれは変わらないんだろうなって。

教えることとか保護すること、一緒に遊ぶってことに聖人君主である必要はないんだって最近気づいて。

どれだけ我慢していい外面をしたところで根っこのところは何も変わらないんだろうなって。

僕は僕のままでいいんだって(もちろん変えなければならないことはとても沢山ある)

そんなことを最近あった人から学びました。

もちろんいますよ。もっと模範的でないとやるべきではないって言ってくる人。

いや、でも僕は何というか子どもたち、というかこれから会う人たちの支えというより、「悪友」ってポジションがいいのかなって。

昔は悪いこと教えてくれる大人もいっぱいいたじゃないですか?

なんか、そんな感じでいいかなぁって。

僕は先生にはなり得ないし、なりたくはないんだなぁってことに気づいたよって。

その程度のこと、最初から持っておけよって思われちゃうと思うんですけどね。

進んでいく中、人とかかわっていく中で気付くこともあるんだなっていうそういうことです。

以上

不登校の子供がいるお母さんと話してみて思ったこと。

僕です。

最近支援系の記事が多いな。ウザがられてないかな?って考えながらもまた支援系の記事を書きます。

最近不登校・苦登校の当事者の方、関係者の方とお話する機会がありがたいことに増えています。

本当にありがたい。

単純に話を聞いてほしいとか、勉強を教えてほしいとか、相談があります。なんてことが多くて、ほんとに皆それぞれ色々なものを抱えているなって感じます。

ここ最近ほんとに感じるようになったのは、お母さん方が本当に悩んでらっしゃるんだなってことです。

そりゃそうだなぁとは思うんだけど、「自分の子供が他の子みたいに学校にいけないのが本当に不安です」ってお母さんが本当に多い。

僕には家庭も子供もいないので推し量ることしかできないんですけど、本当につらいんだなぁと思います。

うちの母に昔、自分が苦登校、弟が不登校だった時のことを聞いたんですけど、不安というより、「怖かった」らしいんですよね。

そりゃそうだわ。理由が見えないっていうのは本当に怖い。

それは何も不登校とかその辺に限ったことではなくて、すべての人間関係においてそうなのだ。

ぼくたち兄弟は基本的に原因を言わずにそのままひきこもるタイプの人間だったので、理由も何にも言わずにただただ部屋に引きこもったり、布団の中から出てこようとしなかったりした。

毎日怒られて、引きずり出されて学校に行かせようとする親と僕達で戦争をしていた。

そういう毎日を送っていたから気にしたこともなかったし、いじめとかその辺のことなんて親に言えるわけでもなかったから、毎日だんまりを決め込んでいたけど、今になってみればよく分かることで、理由がわからないから対処のしようがない。

でも学校にいけないっていう理由って実は色々あって、それは明確に理由がある場合となんかモヤモヤするから行きたくないっていうのでまぁ、子供自身もわからなかったりするわけ。

明確に理由っていうと、いじめ、勉強についていけない、人間関係がつらい、学校の先生が嫌いとか、大体が表に見えてくる。

なんかモヤモヤするっていうほうが実は大変だったりして、この「モヤモヤ」にしっかり向き合っていかないといけないなっていうものが多い。

なんだか先生が嫌だ。(なんでかは自分でも釈然としない)とか

なんだかクラスの空気が嫌だ(同上)

これってきっとそのモヤモヤを抱えている子以外には気づけないところで親が口を出しても(原因がわかるまでは)どうにもならない場合が多かったりする。

だから親御さんは見守っていてあげてほしいなって。

子供がSOSを発したら対処してほしいのだけど、こう、しっかりと子供が整理をつけられるまでは見守ってあげてほしい。

難しいんだけどね。心配になっちゃう気持ちもわかるんですけど。親だもんね。自分の子供が心配なのって当たり前だし、正常なことです。

恋人にフラれたときとか整理つくまでほっといて!ってなることあると思うんですけど、きっとそんな感じです。

ここ最近、いろんな人と話してきて、不登校選択できるお子さんはめっちゃ考えてるし、大人が思ってるより大人だなぁって思います。だからもう少し子供のこと信じちゃいなよ!って思いました。

あ、あと疲れちゃったらお外にコーヒー飲みいったり、お酒飲みいったり、お出かけしても全然いいと思います。お母さんがつらそうにしてると子供もつらかったりするので。

サードプレイスを作りたいよね

コーヒーミルを注文しました。

コーヒー生活が捗る…

さて、実は昨日の深夜こんな呟きをしたんですね

最近不登校、苦登校支援に動いています。

で、結構大人に言われて引っかかってるのが「学校に行かせたいなら、支援って言うのは適当じゃだめ」ってこと。

支援=学校に行かせることではないんだな。僕の場合は。

学校に行けるようになるということは一つの正解だなって思います。僕も。

でも、無理して行くようなところでもないと思っていて、行けるなら行けばいいけど、行けないなら行かなくて良くね?

という感じ。

学校では社会性がどうとか色々学べるよって言う人もいることはわかってるし、まぁ確かにその辺は学べるなとは思うんですけど、それ学校以外でも学べるぜって思うんです。

でも今の社会の感じだと学校行かなきゃいけない感じだし、息苦しい感じが絶対出ると思うのよね。

だから僕はサードプレイスを作ろうと思ってます。

家と学校以外の居場所。

がんばろー

 

今日一日を戦う

お酒を飲みながら書いています。

だから誤字があるかもしれないし、意味が通らないところがあるかもしれない。

それにいつも以上に強引に話題を変えるかもしれません。

僕の仕事(お金が入るやつ)は機械とかブランド品を買い付けてメンテナンスして消費者に流すってことなんですよ。

転売屋とか言われることもあるけど、プライドと信念を持ってやってるんですよ。

まだ使えるものを欲しい人に渡す仕事だから。どこも悪いことはないと思っている。

チケットの転売とかするやつとはホントに一緒にしてほしくないと思ってます。

僕らが商品を仕入れる主なルートって2つあって、一般の方から買い取る方法と、業者専門のところで仕入れるって方法の2種類なんですけど。

業者専門のところってオークション形式がほとんどなんですよ。金額を釣り上げて一番多く出せる人が競り落とせるって形式です。

スピード感、判断力、資金力が物を言う世界なんですよね。

僕は「戦」って呼んでるんですけどね。

とにかく疲れる…ホントに濃い時間が流れていて、商品が出るたびに全員が集中する。

一瞬を見極めて金額を提示する。

かち合ったら相手がついてこれなくなるまで金額を釣り上げる。

この繰り返しを6時間位やってるんですね。

終わる頃にはもう凄く眠くなってるんですよ。

ほんとに疲れる。

企業に通ってる方って多分もっと働いてるんだろうし、人間関係とか大変なんだろうなって思って、ホントに尊敬する。

でも結局皆戦ってるんだなって。

明日一日を生き抜くために今日一日を戦う。

皆きっとそうなんだなって。

僕たちは皆戦士。